「ハーフ」と聞いて思い浮かべるイメージは、どんなものだろう。

”美男美女”で、複数言語を話し、ちょっと”特別”な存在。ひょっとしたら「自分もハーフだったらな」と思った経験がある人もいるかもしれない。

父母のどちらかが外国籍で、もう一方が日本国籍の場合に、その間に生まれた子どもが一般的には「ハーフ」と呼ばれる。けれど、これは海外では通じない和製英語。英語の文章を読んでみても、「ハーフ」は”Half”ではなく”Hafu”として綴られていて、日本独特の言葉という立ち位置だ。

1970年代に広まったこの呼称は、定義がとてもあやふや。出生率の割合は50人に1人という一応のデータもあるけれど、外国で生まれて日本に移住したり、親が日本国籍を取得したりといった人たちは、この統計からは零れ落ちている

 

「ハーフ」という「括り」は、明白な線引きのない漠然とした概念の元で語られているのだ。

 

時代によって呼び方も描かれるイメージも変化し続けてきた「ハーフ」だけれど、今日の日本社会で「ハーフ」であるということは一体、何を意味するのだろう?

そして当事者たちは、そのアイデンティティと、どんな風に向き合ってきたのだろう?

「多様性」という言葉が随分と身近になった今日の社会では、当事者を主語とした発信がもっと必要だ。

 

当事者の声をもっと、ちゃんと、聞いてみたい。

 

…. てな訳で!

 

「ハーフ」の友人をお招きして

「ハーフって?センシティブな話題でもある一方で『私は何者なのか』って人類共通の根源的な問いだし、社会や僕が無意識に抱いているステレオタイプに気付けるかもしれないから、もし良かったらお話を聞かせて?」の会

 

を開催しました(長い)。そして、何でおまえが真ん中に座っているんだ…?

 

鼎談型の取材に協力してくれたのは日本で生まれ育ち、ブラジルにもルーツを持つ松永圭造ウィリアムさん。そして、中国生まれ日本育ちで、モルドバにもルーツを持つ柴崎パメラさん。

僕が大学時代に知り合った気さくで優しいお二人が、自分と向き合った過去や「ハーフ」というアイデンティティと生きてきたからこそ思う社会のこと、色々とお話ししてくれました。

 

自分がハーフってこと、知らなかった。

みずき:「ハーフ」って言葉は広く使われいるけど、直接に言われるのって実際どう感じますか?ミックスやダブルって言葉も最近は認知が広まってきていますよね。

パメラ:そもそも自分がハーフだって知らなかったんだよね(笑)。小学校低学年の時に「パメラってハーフなの?」って友達に聞かれて、初めてその言葉を知った。「ハーフって何?」みたいな。自分で説明するときはあまり使わない言葉だね。父がモルドバ人で母が日本人です、みたいな言い方をしてる。

ウィリアム:も小学校で友達に「ケイちゃんってハーフなの?」って聞かれて、最初は理解できなかった。それから「ハーフ人」って言われたことがあって、「へぇ、俺はハーフ人なんだ」って(苦笑)。

パメラさん(左)とウィリアムさん(右)

ウィリアム:ハーフって言われて気にしない時もあれば、文脈次第で「ちょっと嫌だな」って時もある。例えば「ハーフだから鼻高いね」って時々言われるんだけど、それをそのまま受け入れることで、今ある「ハーフ」像を再生産してしまうんじゃないかっていう危機感もあるね。日本の「非アジア人=ハーフ」とか「ハーフ=白人っぽい」ってイメージはまだまだ根強いからさ。

でもパメラちゃんと同じように、自分で説明するときはできる限り丁寧に親のルーツを開示していくかな。

 

みずき:2つの国にルーツを持っていると、どっちかに強い帰属意識を感じるっていう人も、両方を均等に感じている人もいますよね。あと「どっちか」とかではなくて、自分オリジナルのアイデンティティを強く抱いている人も。グラデーション的なものだとは思うんですけど、2人にとってはどんな感じですか?

ウィリアム:難しいねぇ。めちゃめちゃ変化するんだよね。年齢とか、時と場合にもよる。でも日本人っていう意識は常に根底にあるね。同時にブラジルの文化も生活の端々にあるから、例えばご飯だったり、ポルトガル語で父親と話したりすると、「ブラジルにもルーツがあるなぁ」とも感じるね。

パメラ:難しいけど、基本的には「自分は日本人だ」って思ってる。言葉も喋れるし、文化もわかってるから。ただそんな折に、たまたま入ったカフェで英語のメニューが出てきたり、いきなり英語で挨拶とかをされると「あれ?!あ、そうだそうだ。見た目は結構違うんだった」って思うね(笑)

ウィリアム:うんうん。小さい頃からそれの繰り返しで、常に気づかされてきたというか。まだびっくりする時はあるけど、慣れてしまった部分もあるね。「日本人」というアイデンティティと同時に「まったく一緒では無いんだ」って痛感させられる部分があるというか、色眼鏡で見られている意識は常にある。

パメラ:逆に日本の中にある外国人にまつわる社会問題については、無意識に外国人側の視点で考えていることもあるね。自分には日本国籍があるけど、父親が外国人だったりもするから、そういう報道や社会的な差別には「ふざけないで」って強く思うし、自分ごとのように感じる。

ウィリアム:うんうん。「ちゃんと怒らなきゃ」みたいな気持ちがすごくある。自分は外国にルーツを持っている側でもあり、日本国籍保有者で日本語が何不自由なく話せる”日本人”でもある。そういう両方の当事者だって意識があるんだろうね。

日本には、ミックスルーツや言語能力が原因で自分以上に生きづらい思いをしていたり、社会的に弱い立場の人たちもいる。そういう中で、自分には社会問題を提起する力はあるんじゃないかな、とも思っていて。ある意味で、そういう特権を享受しているからこそ「自分がやらなきゃ」「自分が声をあげなきゃ」って思うんだ。

 

自分解放  多様性は強さだ。

みずき:小さい頃から常に色眼鏡で見られることで、なにか内面的な影響はありましたか?

パメラ:大学に入るまではずっと、自分に否定的だったね日本人らしくない部分に触れられることがすごく嫌で、「どことのハーフ?」とか聞かれるのも嫌だった。父方の親戚に自分から連絡を取ろうともしなかったし、ルーマニア語を勉強しようとも思わなかった。「自分はみんなと同じ”日本人”だ」って思ってたから、関わりたくなくてシャットアウトって感じ。

見た目に関しても、自分の特異性を強調されるのがしんどくて、褒め言葉であっても本当に言わないでほしかった。初めてあった両親の知り合いとかに「まつげ長いね可愛いね」って言われるたびに、本気で「まつ毛切ろう」って思ってたくらい。

パメラ:大学にはミックスルーツの人も結構いたし、今までは海外暮らしで初めて日本で暮らすって人もいた。自分の日本人じゃないところを意識しなくてもいいような多様な環境に身を置いた時に初めて、自分のモルドバ側のルーツをもっと知りたいって思えたんだ。自分解放!みたいな笑そこで肯定的に捉えられるようになってスッキリしたから、「やっと他の人に」みたいなね。

みずき:ウィリアムさんは大学を休学して、移民の人権を守るためのNPOでも活動なさっていましたよね。

画像提供 移住連

イベントで進行を務めるウィリアムさん

ウィリアム:そうだね。でも、僕がミックスルーツやハーフの人達のために「ちゃんと声を上げていこう」って思いが強まったのも、大学に入ってから。高校も外国語コースっていう少し特殊なところにいたから、周りにも少し増えて「あぁ意外といるんだなぁ」って思ってたけど、大学に入ったら留学生とか帰国子女、ミックスみたいないろんな人に出会って、そこで初めて、なんか安心できた。

それまではずっと、ブラジル側のルーツに関して質問をされることで自分自身を否定されているような気がしてたんだけど、大学で初めて自分のルーツを真正面から肯定できるようになった。そこでやっと気持ちに余裕ができて、「同じような気持ちで悩んでいる人がいるなら、そういう人たちに寄り添いたいなぁ」って想いが芽生えたね。

みずき:同じでいたい」みたいなのが幼心ながらに。

ウィリアム、パメラ:そうそう。

パメラ:ちっちゃい時は特にそう。小学校みたいな小さいコミュニティの中で、自分だけが違うっていうのは、子どもは特に気にするっていうか、環境的にも「みんなと同じがいい」ってなるからね。学校っていう環境はかなり特殊なものだったと思う。

みずき:お二人の場合は、自分のルーツがある国に行ったこともあるんですよね?

パメラ:私は大学生になって初めて行った。それこそ肯定的になってから興味が湧いて、そこで初めて「行ってみたい」って思ったのが大学2年生の時。

おばさんと従姉妹に会った途端に号泣しちゃって。すぐハグをしてくれたの。自分は「関わりたくないです」くらいの姿勢で避けてきていたにも関わらず、当たり前のように家族として受け入れてくれたことが嬉しくて。

みずき:やばい。そういう話に弱いんです。。

 画像提供 Facebook/Pamela Shibasaki画像提供 モルドバ大使館

現在、モルドバジャパンのメンバーでもあるパメラさん。2019年12月には現地で日本文化を紹介するイベント(1枚目)の開催や、大使館のお手伝い(2枚目)まで。

パメラ:モルドバにいると見た目は馴染むから「外国人だろう」とは誰も思わずに話しかけてくれるんだけど、自分のルーマニア語はまだ未熟だから、そこでやっぱり「あ、自分は外国人なんだ」って思っちゃったりはするね。

日本とは逆で、見た目は溶け込めるんだけど、気持ちは溶け込めないから、どっちにいっても完璧にはなれないっていうね。

ウィリアム:僕は3歳のときに行ったのが、今のところは最初で最後。でも、もちろんブラジルに愛着とか興味はすごくあるね。例えば高校で海外の国の紹介をする授業があったんだけど、まず頭にはブラジルが浮かんで、「ブラジルってこういう国なんだよ!」ってウキウキと紹介したのを覚えてるよ。

画像提供 Facebook/Keizo William

弟さん(左)は留学中でブラジルにいるので、ちょっぴり寂しいウィリアムさん。幼少期スマイル可愛い…

だから、違いを強調されるのは嫌だったんだけど、ブラジルにルーツがあること自体は、かっこいいものとして常に誇りに思ってた。ただブラジルは遠いから、お金もかかるしね。

言語は”居場所”みたいなもの

ウィリアム:英語で話しかけられること自体はもう慣れちゃったね。これは他のミックスの人に聞いた話なんだけど、小さい頃に「英語人」って言われた経験がある人がいて、

パメラ:あります!

ウィリアム:あ!ある?やっぱり「外国人=英語喋れる人」みたいな雰囲気が日本社会にはすごく刷り込まれていているなぁ、とは思うね。

パメラ:うんうん。私もウィリアムさんもルーツは英語圏ではないじゃないですか。「英語は世界共通語」みたいな認識があるから仕方ないのかも知れないんですけど、やっぱりリスペクトではないかな、とは思います。

私はバイト先で海外からのお客さんが来たりしても、最初は日本語で話しかけるようにしてた。日本にいるわけだから、もしかしたら日本語を勉強していて「日本語を話したい」って思ってるかも知れないじゃない?そこでいきなり、見た目で判断して英語で話しかけるのは少し失礼かなって思うし、そこで英語で返って来たら英語で話すようにしてるね。それこそがリスペクトだなって思う。

ウィリアム:僕も同じだね。最初は意識的に日本語で話してる。それこそ、相手もハーフかも知れないしね。

パメラ:自分と同じタイプ、みたいな(笑)。私はモルドバに行った時、ルーマニア語で話し掛けられるのが嬉しかったし、なんていうんだろう

ウィリアム:自分と同じタイプ(笑)。その地の言葉で話しかけてもらえると、「認めてもらえてる感」があるよね。

パメラ:あ!それ!そうそうそう!

みずき:その地の言語が地域そのものへの帰属意識に繋がってる、みたいな

ウィリアム:正にそんな感じ。「自分は何者なんだろう?」って揺れている人にとっては、日本で日本語で話しかけてもらえることも、ルーツがある他の国で、現地の言葉で話しかけてもらえることも「ここの人だって見てもらえてる」感じがして嬉しかったりもするからさ。

パメラ:うんうん。「この国の人間として認められていない」って常々思わされるわけだからね

 

「外人じゃん」は「エイリアンじゃん」に聞こえる

パメラ:家庭内の会話は日本語が主なんだけど、父親が自他に対して「外人」って言葉を使うんだよね。でも「外人」って多くのミックスの人にとって、めちゃめちゃ嫌な言葉なんだ。

ウィリアム:嫌だねぇ。

パメラ:父親がその言葉を使うたびに「その言葉はやめたほうが良いよ」って伝えるんだけど、父親にはイマイチそのニュアンスの違いが伝わらなくて。日本人でも言う人が沢山いるけど、「外人」は蔑みの言葉に聞こえるから、言わないでほしいし、聞きたくないし、自分に対してじゃなくてもやめて欲しい。

小さい頃に「外人」っていう言葉でからかわれたことが何度かあって、トラウマ的な言葉でもある。初対面の人とか、サッカーの試合とかで相手チームにいた子が、「え、外人いるじゃん」みたいな感じで言うんだよね。そういう時はかなり嫌な気持ちになった。

ウィリアム:分かるなぁ。なんか「エイリアンじゃん」って言われてる気分。

パメラ:本当にそう。でも使う人って別にそこまで考えてなくて、ただ外国人って意味で使ってるから、それを理解してもらうのは難しいのかなぁ。

取材を行った場所はゲストハウス FOCUS KURAMAE(ゲストキッチン近くなのは小声案件)

みずき:「外人さん」って言葉を使う人もいるくらいなので、「その言葉がそもそも良くないんだよ」って知ってもらいたいですね。「外人」ってポリティカルコレクトネス的にもかなり問題視されているけど、単純に言葉のアップデートは続けたいな、と思います。「ホモ」とかもそうですけど、今でこそ差別用語だって広い認識がある言葉について「それ良くないと思うよ」って言ったときに、「それで楽しく笑ってた時代があったんだよ」って言われたりもして。

そういう意味で色々なマイノリティを知ることと同じくらい、自分たちと違う世代の人たちの価値観の傾向を知ることも大切だな、と思います。多様性には「多様な世代」も含まれている訳なので。

ウィリアム:裏を返せば、黙ってたというか、声を上げる場所がなかったんだろうな、とも思うね。実は「日本人」の多様性ってすごく昔からあるんだよ。在日コリアン、在日華僑、アイヌ、琉球とかね。しっかり見ればミックスの人も昔から沢山いる。

今はSNSの普及で「これ嫌なんです」とか「ここにいるよ」って個人レベルで言える場所があるから同じ気持ちの人たちが集まって力を成せるけど、スマホがない時代はそうはいかない。マスメディアとして物凄く力のあったテレビで流れてることが、みんなの「普通」になっちゃうから。

それで嫌な思いをしていた当事者の人たちが「嫌」って言えなかった時代でもあるよね。それが今になって「あ、違うんだ」って議論が出てきた実体はあると思う。僕たちはそういう語られてこなかったものにも、もっと気付いていかないといけないのかもね。

みずき:誰かを傷つけないために身に付けるべき教養ってやっぱりありますね。それこそスマホ一台で学べますし。

メディアでいうと、ハーフの「美男美女」像とかも結構ありますよね。「ハーフの子どもを産みたい方へ」みたいな広告も見たことがあって、当事者じゃない自分でも何だか心が枯れてしまいます。

パメラ:うんうん。「ハーフの子供が欲しい」は知り合いとか友達にも結構いて、「本当にやめて」って思う。もちろん相手がたまたま海外の方で、その間で生まれた子がいわゆるハーフの子供っていうのは別ね。

ただ「ハーフが欲しい」っていう我欲だけで生んでしまうと、子どもが背負っていくものや人生を無視してるって思うんだよ。これからぶち当たるかもしれない悩みとか社会的な障壁とかね。もちろん違う文化に触れて育ったりって利点みたいなものもあるから、単に動機としてって話ではあるけどね。

ウィリアム:ハーフ当事者の女の子で「自分と同じような経験をして欲しく無いから絶対に子どもを産みたく無い」って人も時々いて、胸が苦しくなるね。

普通に接して欲しい。ただそれだけ。

みずき:英語で話しかけるのも無意識にやっちゃいそう」とか「無意識な言動で傷つけちゃうの怖いかも」っていう人もいると思うんですよ。そこで個人的なアドバイス?というか「こうしてくれたらいいな」みたいなものがあれば教えてください。

ウィリアム:普通に接して欲しい。ただそれだけ。気になっちゃうのは仕方がないことだと思うけど、そこでちょっと間をもってくれたら嬉しいね。一旦会話が生まれた中で「もし失礼じゃなければ」ってルーツを聞かれるのと、いきなり「ハーフ?」って聞かれるのだと、だいぶ違うからさ。質問したくても、一回待って欲しい。

パメラ:私も同じく。いわゆる”日本人”っぽい容姿とはちょっと違う人が、流暢な日本語を話していると「まぁミックスとかなんだろうな」とは思うけど、「どことのハーフなんですか」とか「何語を話せるんですか」とかも、私は聞かないようにしてる。気にしてない人なら、親しくなれば会話の端々でなんとなく出てくるしね。

みずき:確かにモノリンガルの人もいるわけだし、「何語話せるの?」って日常的に聞かれるのはコンプレックスにもなり得ますね。

ウィリアム:両親はどこで出会ったの?」「親は何の仕事してるの?」とかも聞かれるんだけど、「どこまでプライバシーに踏み込んでくるの?」って驚いちゃうね(苦笑)。就活とかでも、面接官がちょっと知識のある人だったりすると「ブラジル=日系ブラジル人」みたいないなイメージがあって、さらに「日系ブラジル人=工場労働者」みたいな。「あ、ブラジル人のお父さんなんだね。じゃあ工場とかで働いてるの?」って。

パメラ:うわ。

ウィリアム:日本生まれ日本育ちの他の人にそんなことは普通聞かないし、「初対面の人にそんなこと聞かないでしょ?」っていう。だから「普通に他と同じように接してよ」って思う。

 

みずき:何かにおいて「自分って、マイノリティなのかもなぁ」と感じた経験って、多くの人にあると思うんですよ。僕もその1人なんですが、今こうして色々とお話を聞いてみて、他のマイノリティに対しては加害者でもあったな、というか今でも気づけていないことが沢山あるんだろうな、と改めて思います。ズカズカと行ってしまった心当たりもあり反省しています…

ウィリアム:誰だってどっかしらでマイノリティな部分があるものだよね。だから二項対立的ではなく個人単位で意識していくべき複合的なものや構図があるなぁ、とは思うよ。もちろん、僕にもマジョリティな部分は沢山あるしね。

みずき:何に関してもそうなのですが、「マイノリティ性」や生きづらさを語ったりすると「不幸自慢だ」とかって言われる現実もありますよね。でも、そういう気持ちをあえて開示していくことで「あ、語っていいんだ」とか「自分だけじゃないんだ」みたいな形で誰かが報われることもあると僕は思っていて。

ウィリアム:うんうん。そこで敢えて「俺は日本人なんだ!」って大きく声を上げることもある。これは成長しながら色々模索していく中で学んできた、ある種の「生きずらさの中でどう生き抜くか」みたいな術。アイデンティティを確立するってよりも、奪われないようにサバイブするって感覚に近いから。自分がハーフだってことを受け入れられずに葛藤している人や、苦しんでいる人はいるから、そういう人のためにもね。ちゃんと声は上げていたい。

パメラ:本当にそう。ハーフとか外人とかって言われたりすることに対して、やっぱり「自分が強くならなきゃいけない」とか「自分が我慢すればいいことだ」って以前の私は思ってた。

でもある時、「当事者のエンパワーメントも大切だけど、同時に『外人』とか言えてしまう人たちに『それは差別だよ』って教えてあげることがすごく大事だよ」って知り合いの活動家の方に言われて、そこで私は初めて「あ、自分だけが頑張らなくてもいいんだ」って思えたんだ。

パメラ:だから、自分が我慢すればいいと思っている人には「絶対にそうじゃない」って伝えたい。そして「当事者のために出来ることはある?」って質問にも、「どんな言動が差別的になり得るかを知ったり、伝えたりすることじゃないかな」って思う。いけないことだとか、傷つく言葉だと気づかずに使っている場合も多いと思うから。

ウィリアム:本当にちっちゃいことでも、そうやって社会に働きかけていく必要があるよね。差別的な発言があったら、たとえその人に悪気がなかったとしても「それちょっと」って言うだけでも違う。そういう積み重ねで少しずつ変わっていくと思うし、変えていきたいね。

 


 

 

——取材中、言葉の1つ1つを丁寧かつ慎重に選ぶ二人の姿が印象的だった。

それと同時に、時折、その優しい口調のまま発せられた「強い」言葉もある。

敢えてその言葉で伝えることで、二人はこの社会で「サバイブ」するための力を見出し、そこで搔き消されてしまいそうな叫びには「大丈夫だよ」と声を掛けているようにも見えた。

そして、それは社会によって着せられたアイデンティティを身をよじりながら解き、受け入れ、自分の「カッコいい一部」として愛するために戦ってきた中で身につけた、身につけざるを得なかった強さなのだと思う。

もちろん、これはあくまでも二人の声であって、多様な「ハーフ」当事者にそれぞれの視点と物語がある。けれど、一人ひとりの声に耳を傾けることに意味がないのかと言えば、きっとそうではないだろう。

 

日々の中で何気なく口にする言葉、「括り」では語れっこない個人の物語、誰かを傷つけないための智。足早な時代だからこそ、尊い「個」を愛しつつ、丁寧に混ざり合っていきたい。

 

取材を通して、そんな”きれいごと”を心から思った。

 

僕たちには出来る。出来るはずなのだから。